56歳女急逝した姑の葬儀をきれいに終えることができました
50代後半 女 時折不定期のアルバイトをしています。夫と娘一人と暮らしています。
結婚した当初から、いえ婚約中から私と姑の相性はよくありませんでした。舅が婚約中に亡くなったこともあり、挙式後同居したこともありましたが、上手くいかず別居となっていました。
それでも、2か月に1回くらいは1週間ほど我が家で泊っていく、不思議な距離感で生活していました。
私と40歳離れた年令の姑とは価値観が合うはずはなく、ことあるごとに衝突していました。
夫の態度は、ほとんど見てみぬふりです。
ひどいときは、暴言を吐きまくってケンカをすることもありました。
しかし、ある年の春、姑はあっけなく逝ってしまいました。
1週間前にも我が家に泊まって長女と、あちこち遊び歩いていたというのに。大好きなウナギどんぶりを食べてご機嫌な様子だったのに。
あの私には意地悪ばかり言ってきた元気な姑が亡くなったとは、とても信じられず複雑な気持ちでした。
仏間にうつぶせで倒れている姑といつも文句ばかり言っていた姑とは別人のような気がしてなりません。
しかし、感傷に浸る間もなく、その日から怒涛のスケジュールが押し寄せてきました。
まず、姑には知り合いや友人が多く、土地柄なのか亡くなったことを知ると、皆いっせいに姑宅を訪れてきます。
姑の亡骸を囲んで、ひとしきりお悔やみの言葉をのべてくれます。
電話もひっきりなしに鳴り響いています。
その対応に追われ、自分の気持ちをふりかえる暇もありません。
やっと、警察の検死が終わり医師の死亡診断書がおりると、今度は葬儀場の手配、すぐに通夜の準備です。夕方になると夫の職場の人々や仕事関係の方々が押し寄せ、一人一人挨拶をせねばなりません。
通夜客がすべて帰った後、曹洞宗の儀式として、線香の守りをするのです。夫と交代で葬儀場の一室で姑の遺体に添いながら、不眠不休で火の消えかかった線香をとりかえる作業です。
持病のある私は、貧血をおこしながらも何とかほぼ二晩の徹夜を耐えます。
そして、本葬の日、朝早くから喪服の着付けをおこない、告別式にのぞみます。読経のあいだ、疲れから何度も眠ってしまいそうになります。
葬儀も終わり、火葬場にいき骨拾いをしたとき、やっとすべてが終わったことを実感しました。
亡くなった直後、涙も見せなかった夫が初めて泣いていました。そして、私に、「何十年と長い間大変だったろう、ありがとうね」とねぎらいの言葉をかけてくれました。
結婚してから今まで、私に礼など言ってくれたことはない人です。
葬儀を無事終えて、数か月したころ、「おふくろからだと思って受け取ってくれ」と、高価なハンドバッグをプレゼントしてくれました。仲の悪かった嫁姑でした。ここまで葬儀一式に寄り添ってくれるとは思わなかったようです。夫の喜んだ顔を久しぶりにみました。
上手くいかなかったとはいえ、何十年と縁のあった人の最期くらいは、丁寧に送ってあげられて良かったと自己満足かもしれませんが、感じています。
34歳女性_父の日の似顔絵
うましと申します。毎日、仕事を一生懸命頑張り、育児も積極的に協力してくれる旦那なのですが、物欲も特になく「あれが欲しい、これが欲しい」と言わないので、どうやって日頃のお礼をして良いのか悩んでいました。そうこうしているうちに、父の日が近づいてきました。
娘は旦那のことが大好きなので、単純に何か買ってプレゼントをというよりも、娘が何か作ったものを渡そうと考えました。何を渡そうかと考えていた時に、5歳の娘がクレヨンで絵を描いていたのです。その時に旦那の似顔絵を娘に描いてもらおうと決めました。娘に「パパのお顔を描いて」と、頼むと最初は照れくさそうにもじもじしていましたが、うれしそうにかき出しました。なかなか味のある似顔絵でしたが、目が大きくてヒゲが濃く、旦那の特徴をしっかりとつかんだ絵を描いてくれました。
そして、待ちに待った父の日がやってきました。旦那は結構ぼーっとした性格なので今日が父の日ということすらおそらく知りません。そして、娘から旦那の似顔絵を渡してもらいました。最初、旦那はきょとんとしていましたが、似顔絵を見た直後に爆笑してくれて、私が今日は父の日だと伝えると「あぁ、そうだったのか」とポツリと一言。
ただ、うれしさと感動の入り混じったような表情でしばらく似顔絵をぼーっと見ていました。
「どうだった?」と後から聞くと、「うれしかった、ただ成長の早さを感じてあとどれくらい娘と一緒にいれるかを考えていた」と答えてくれました。ジーンと感動していたようです。
それぞれの旦那様が、いろいろな趣味や嗜好を持っていると思いますが、子供が描いた似顔絵はどんな旦那様ももらってうれしいのではないでしょうか?子供の成長を感じ、子供が一生懸命自分のために描いてくれたことに対して感動してくれると思います。
いつまでも赤ちゃんだと思っていた子供が歩きだし、絵を描いたり、字を書いたりと日に日に成長していきます。父の日に旦那様の似顔絵を子供に描かせて渡すのはおすすめです。ぜひ、やってみてください。
30歳女 足に薬を塗ったら喜んでくれた
数年の恋愛期間を得て、インド人の彼と結婚し、結婚を機に彼の国に移住しました。現在、結婚6年目です。
結婚して間もないころ、避暑地に旅行に行こうと計画しました。
飛行機の時間がかなり早かったのに、前日まで仕事で忙しくしていた私たちは、旅行の準備をする時間がありませんでした。そのため、まだ日が明けていない早朝に、家の中をバタバタと走り回り、旅行の準備をしていた矢先、なんと停電。インフラ事情が悪いインドでは停電は日常茶飯事ですが、なんで旅行の準備で忙しいときに。。
仕方がないので、ケータイの明かりで荷造りをしていたら、こんどは急に旦那が「痛~~~い!」と叫びました。「なんかネジみたいなものが足にささった」とのこと。なんで家の中に大きなネジが落ちているの…?ケータイの明かりで足を見ると確かに出血してました。
飛行機の時間が迫っていたため、予約していたタクシーで空港に向かい、急いでチェックインを済まし、やっとほっとして登場を待っていたら、旦那が「やっぱり足が痛い」というので、空港内の薬局に消毒液と塗り薬を買いに行きました。
薬局内でサンダルを脱ぎ、傷を見ると、けっこう傷が深く、確かに痛そうでした。(なんで家にネジが落ちていたのか本当に疑問)。
薬局内でコットンを分けてくれたので、傷が足の裏だったため、旦那を座らせ、足の裏を消毒し、薬を塗り、大きなバンドエイドを張ってあげると、薬局の薬剤師も旦那も目がきょとん。
なぜだろうと思いつつ、薬局を出ると、旦那が嬉しそうに「ありがとう」と言いました。あまり感謝の言葉を口に出さない人だったので、こっちがびっくり。
「人前でしゃがんで、ああやって足に薬を塗ってくれる奥さんを持って僕は幸せだ。インドの奥さんはぜったい、そんなことはしない。ありがとう」ととても感謝してくれました。
なるほど、そういうことか、と合点が行きました。確かにマザーテレサが孤児院の子どもの靴の紐を結んだら、周りにいた全員が驚いたと教科書に書いてあった記憶があります。
人前や場所、国籍に関わらず、相手への思いやりの心と態度はとても大切で、相手の心に伝わるだなぁ、としみじみ思ったものでした。
35歳女性 イベントを祝うことを大切にしたこと
私は結婚して5年経つ30代の主婦です。
今でこそすっかり慣れてしまいましたが、結婚した当初はお互いの家庭環境が違うため、驚かされることが多くありました。
一番驚いたのは、主人の家族が誕生日などの祝い事にあまり関心がないようで、プレゼントに現金を渡されるだけで、ケーキやご馳走もないということでした。
クリスマスにいたっては、ケーキもご馳走がないだけでなく、プレゼントをなかったそうです。
お正月も、おせちも初詣もせず、祖父母がお年玉をくれるだけで終わったそうです。
逆に私の家庭は、各行事には家族総出で準備をして、ケーキや食事を作ったりプレゼント交換をして育ち、イベントごとには張り切るのが常だったので、主人の家庭の話を聞いて驚いてしまいました。
新しく2人で家庭を築いた時、一体どちらの家庭を参考にしたら良いのか見当もつきませんでしたが、主人がそう言ったイベントに憧れていたものの、経験がない分どうしたらいいか分からない、とぼやいていたので、とりあえず結婚して一番はじめのイベントのクリスマスを、私の実家流に祝ってみることにしました。
部屋のデコレーションやケーキや料理などを作る段取りをして、主人にもやってもらいたい事を支持して、クリスマスの1ヶ月前くらいから準備を始めました。
プレゼントだけは、こっそり秘密にして用意しておきました。
私はイベントの準備から楽しめるタイプなので、早々動くのも苦になりませんでしたが、主人の方はクリスマスの準備ならクリスマスの前日にするくらいに考えていたらしく、困惑しているようでした。
でも、実際にクリスマス当日にいよいよケーキと料理を作っている時は、主人もとても楽しんでくれて、やってよかったなと思いました。
プレゼントは、主人の方は用意しておらず、半泣きになって謝罪され、翌日慌てて買いに行っていました。
それからは誕生日やクリスマスのプレゼントはかかさずに用意してくれるようになったので、はじめに頑張ってよかったなと思います。